「円」や銀行の誕生など!明治時代のお金にまつわる豆知識

偽造抵抗力強化等の観点から紙幣・貨幣はこれまでに変更が繰り返されてきており、2021年上期には新しい貨幣、2024年上期には新しい紙幣の発行が予定されています。明治時代には、どんな種類のお金があって、どのように変化したのでしょうか?明治時代のお金の種類や起こった変化、銀行の誕生といったお金にまつわる豆知識をご紹介します

「円」や銀行の誕生など!明治時代のお金にまつわる豆知識

当初は統一されていなかった明治時代のお金

当初は統一されていなかった明治時代のお金

1万円なら表に福沢諭吉、裏に鳳凰像といったように、現在の日本の紙幣はそれぞれの金額ごとに1種類しか存在しません。

一方、武士が力を持っていた江戸時代から、大政奉還を経て政権が朝廷に戻った明治時代初期、新政府は新たな日本を作り上げるための体制確立に追われていました。そのため、通貨制度を整備する余裕もなく、幕藩の頃の金銀銭貨や藩札、通貨不足を補うために発行された太政官札や民部省札などが混ざっており、現在のように統一された通貨は存在していませんでした。

その結果、金銀銭貨や藩札、太政官札や民部省札の交換比率は複雑化し、そのうえ、偽造金貨・紙幣なども出現したため、通貨制度は混乱の一途をたどるばかりだったのです。

明治時代に起こったお金に関する変化

明治時代に起こったお金に関する変化

明治時代初期の通貨制度は、上記のように最初は混乱していましたが、この混乱した状況がお金に関する重大な変化をもたらしました。明治時代に起こったお金に関する変化は以下の3つです。

・貨幣制度の整備と円の誕生
・国立銀行の誕生
・日本銀行の設立と兌換銀行券の発行

それぞれの変化について詳しく見ていきましょう。

貨幣制度の整備と円の誕生

明治時代初期は数種類のお金が混在して統一されていなかったことが原因で、通貨制度に混乱が生じていました。そこで明治政府は、貨幣制度を統一させる目的で、明治4(1871)年に「新貨条例」を制定しました。

新貨条例では、金貨を貨幣の基本として、単位を両から円に変更、さらに10進法を採用しました。翌年の明治5(1872)年には、流通している紙幣を統一する目的で旧紙幣を回収して、明治通宝を発行。しかし、明治通宝には偽造が多かったことから、明治14(1881)年には日本初となる肖像画入りの政府紙幣が発行されたのです。

国立銀行の誕生

明治政府は、貨幣制度の統一を進める一方、銀行制度の近代化を確立する目的でアメリカのナショナルバンクをモデルにした「国立銀行条例」を明治5(1872)年に制定しました。

その国立銀行条例の条件を満たす日本最初の銀行として登場したのが第一国立銀行です。これらの国立銀行には、一定の条件に基づいて紙幣の発行権が与えられました。第一国立銀行設立に携わり、総監役を務めたのが渋沢栄一です。渋沢栄一は、2024年に変更が予定されている1万円の肖像画に選ばれています。

日本銀行の設立と兌換銀行券(だかんぎんこうけん)の発行

明治10(1877)年には、西郷隆盛率いる士族と政府による西南戦争が勃発しました。西南戦争では、戦費を調達する必要があったため、政府紙幣や国立銀行紙幣が増発されましたが、その結果、日本経済は激しいインフレに陥りました。

このインフレを収束させる目的で、日本政府は明治15(1882)年に中央銀行としての日本銀行を設立。紙幣の乱発を回避して通貨価値を安定させるために、兌換銀行券(だかんぎんこうけん)と呼ばれる、発券銀行が保有者の要求に応じて同額の金や銀と交換できる日本銀行券を発行しました。

以降、明治32(1899)年には、国立銀行紙幣と政府紙幣は利用できなくなり、これを機に日本の紙幣は日本銀行券に統一されたのです。

日本初の信託の始まり

ちなみに、前述の大きな3つの変化とは別の動きですが、自分の財産を預けて代わりに管理・運用してもらう「信託」も、明治時代の後半に日本で初めて登場したと言われています。1900年代後半に登場したと考えている方も多いと思いますが、明治33(1900)年の日本工業銀行法に「信託」という言葉が記載されたのが最初です。

明治38(1905)年には担保附社債信託法が制定されて、許可を受けた有力な銀行が業務を開始。最初は事業会社が対象でしたが、明治39(1906)年には個人を対象とする信託制度も導入されました。

明治時代の金属貨幣・紙幣の種類

明治時代の金属貨幣・紙幣の種類

明治2(1869)年に、イギリスの領地である香港にあった造幣局の機械設備を買収して、幣制を一新。西洋諸国と同様、硬貨は円形の洋式貨幣になりました。

また、明治4(1871)年には大阪に造幣局が完成したほか、新貨条例が発布されました。それとともに、金貨は20円以下1円までの5種類、銀貨4種類、銅貨4種類、これらとは別に開港場の貿易用に1円銀貨を1種類加えて制定されました。

明治5(1872)年の国立銀行条例の制定、明治9(1876)年の国立銀行条例の改正、明治15(1882)年に日本銀行の設立を経て、明治18(1885)年にようやく日本銀行発行の紙幣が初めて登場しました。

明治時代と現代のお金の価値比較

明治時代と現代のお金の価値比較

明治時代の1円と現代の1円のお金の価値は異なります。では、明治時代の1円は、現代のお金の価値と比較するとどのくらいになるのでしょうか?野村ホールディングスと日本経済新聞社が運営している「man@bow」というサイトによると、明治時代のお金の価値は以下のようになります。

当時の1円の価値は現在の価値に置き換えると2万円ほどであったと想定されます。当時の1銭が現在の200円の価値と同じというわけです。明治時代に販売されていた木村屋のあんパンは1個1銭なので、現代の価値に換算すると約200円になります。

うどんやそばは2銭で約400円、カレーライスが5銭~7銭で1,000円以上という結果です。ビールの大瓶が1本19銭で約3,800円と、お米1升分よりも高かったため、庶民には手が出ませんでした。

アメリカ製の自転車は200円~250円で約400万円。当時の給料の約1年分の金額です。なお、自動車は5,000円前後で、大富豪以外にはとても乗れる金額ではありませんでした。このようにお金とモノの価値は、時代の流れとともに大きく変わっていったのです。

明治時代の給料

明治時代の給料

明治時代を生きていた人たちは、どのくらいの給料をもらっていたのでしょうか?日本や世界の通貨についてまとめた「コインの散歩道」というサイトによると、明治時代の人たちの給料は以下のようになります。

当時の技能労働者の中で最高額だと言われている石工で1日47銭~1円48銭程度。仮に、22日間働くと10円34銭~32円56銭になります。日雇人夫が1日16銭~53銭程度。22日働くと3円52銭~11円66銭と、いかに石工の待遇が良かったか分かります。

小学校の先生の給料は、1ヵ月6円~55円ですが、中心は10円~20円。中学校の先生で1ヵ月10円~80円ですが、どこの学校を卒業しているか、職位がどこなのかで大きく差が生じていたようです。

官史と呼ばれる現在の国会議員にあたる職では、等級が1等~15等、等外は1等~4等に分かれていました。等外で1ヵ月に6円~10円、通常の等級は12円~800円と差が大きくなっています。西郷隆盛、大久保利通、板垣退助、伊藤博文などは1等だったため、800円もらっていたことになります。

明治時代は、物価と比較すると賃金水準が低く、職業ごとの所得格差も大きい時代だったことが分かるでしょう。

まとめ

統一されていなかったことが原因で混乱が生じていた貨幣制度を統一した明治時代。「円」というお金の単位もこの時代に誕生しており、銀行もできたことを考えると、現在に与えた影響は大きいと言えます。

2024年上期に新しい紙幣の発行が予定されています。この機会にこれまでのお金の歴史を振り返ってみると面白いかもしれません。

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