【特集セカンドライフ】第12回 求められる役割を果たし続けるセカンドライフを〜丹呉 泰健さん〜

「特集 セカンドライフ」は、経営者・リーダー・役員など社会で活躍するさまざまな人のセカンドライフ(第二の人生)を聞く特集企画。第12回は元財務事務次官で、現在は日本たばこ産業取締役会長や開成学園理事長などを務める丹呉泰健(たんご やすたけ)さんにお話を伺いしました。

【特集セカンドライフ】第12回 求められる役割を果たし続けるセカンドライフを〜丹呉 泰健さん〜

柔道と旅行に熱中した学生時代

柔道と旅行に熱中した学生時代

―出身は東京・新宿、中学・高校は開成学園で学ばれました。どんな少年時代を過ごしましたか?

丹呉泰健さん(以下、丹呉):生まれ育ったのは、新宿区矢来町です。神楽坂の近くで、今ではビルやマンションが建ち並ぶエリアですが、昭和20年代当時は周囲に高層の建物がなく、平屋一戸建ての我が家の窓からも遠くに富士山を望むことができました。実家はごく普通のサラリーマン家庭で、仕事熱心な父と優しい母、そして姉の4人家族です。小学校高学年になると、父の影響で柔道を始め、週に2回、春日にある講道館まで都電に乗って稽古に通いました。稽古は厳しかったですが楽しかったですし、寒稽古の最後にふるまわれる甘いお汁粉が楽しみで、2年間通い続けました。

開成中学を受験したのは、母に「中学はここを受けなさい」と勧められたからです。特に疑問に思うこともなく素直に受験して無事合格し、入学することになりました。当時は麻布や武蔵が山手の学校、開成はどちらかというとバンカラな下町の学校というイメージがあって、実際、私のクラスメイトも荒川区や台東区の商店や中小企業の息子が多かったですね。中学高校とも部活は柔道部に所属しました。柔道部のメンバーとは仲が良く、卒業後もよく一緒に旅行にでかけました。一番思い出深いのは昭和46年に「できるだけ南に行こう」ということで、鹿児島県の最南端・与論島まで行ったときのこと。お金がないので飛行機は使えず、東京から寝台特急「桜島」で鹿児島まで行き、そこから船で奄美大島へ渡り、また船を乗り継いでやっと与論島にたどり着いたときは感無量でした。翌47年には沖縄が日本に返還されましたので、「できるだけ南への旅」を思いついたのが返還前でなかったら、与論島には一生行かなかったかもしれません。

忘れられない2人の首相

忘れられない2人の首相

―高校卒業後は東京大学法学部に進学されました。進路の決め手は何だったのでしょう?

丹呉:現役の年はいわゆる大学紛争で東京大学の入試が中止になったので、1年間の浪人生活を経ての入学でした。法学部を選んだのは、理系科目に苦手意識があったことと、経済学よりは法律学のほうが自分に向いているだろうと思ったから、つまりは消去法ですね(笑)。法律の勉強は楽しかったですが、卒業後は公の役に立つ仕事をしようと思い、法曹ではなく国家公務員への道を選びました。

1974年、大蔵省入省直後に代々木のオリンピック選手村で行われた初任者研修では、忘れられない出来事がありました。田中角栄首相が直々に激励においでになったのです。最初は形式通りの挨拶をされていましたが、途中で「ここまでは秘書官が用意した挨拶文を読みました。ここからは私が自分の言葉で皆さんに激励の言葉を贈ります」とおっしゃって、自分自身の言葉で激励のメッセージを贈ってくれました。「公務員になったからには、公に尽くすつもりで頑張りなさい」というようなシンプルな内容だったと思うのですが、あの独特のダミ声で力強く励ましていただき、身が引き締まる思いがしたものです。

「感動した!」小泉元首相の言葉の力

丹呉:40年間の公務員生活の中で、角栄さんともう1人、力強い言葉で人を魅了する政治家に出会いました。2001年から約5年半、秘書官としてお仕えした小泉純一郎元首相です。小泉さんは非常に端的な言葉を好んで使う人だったので、一部では「ワンフレーズ」と揶揄されたりもしましたが、言葉の使い方が天才的に上手い方でした。中でも2001年の大相撲5月場所の優勝決定戦で、横綱貴乃花がケガを負いながらも見事な上手投げで武蔵丸に勝った貴乃花に贈った、「痛みに耐えて、よくがんばった!感動した!」という言葉は有名ですよね。

小泉さんは、わかりやすい言葉で話すことにもこだわる人でした。私たち公務員は「~についてどう思うか?」と尋ねられた場合、最初に結論や答えを述べることはまずありません。まず問題点や背景を述べてから、最後に「検討した結果」を述べるのです。小泉さんはその逆で、最初に結論や自分の意見を述べます。例えば、「私はこの案に賛成です。なぜなら~」という風に。だから、小泉さんの話はとても分かりやすく、相手に伝わりやすいのだと思います。国会前に私たち官僚が作成する想定問答についても、小泉さんは「誰が聞いてもわかる文章で書くように」と言われました。秘書官としてお仕えしている間、小泉さんがいかに言葉を大事にしているかを実感する場面が何度もあり、言葉の使い方ひとつとっても、政治家と官僚にはこんなにも大きな違いがあるものかと感心したものです。

1年で3人の首相、4人の財務大臣を支えた財務事務次官時代

1年で3人の首相、4人の財務大臣を支えた財務事務次官時代

―在職中の思い出深いエピソードはありますか?

丹呉:公務員というのは原則として自分の意志で職務を選ぶことはできず、異動や配置換えも自分の意志でコントロールできません。しかし、それには良い面もあって、自分では思いもしなかったような仕事をするチャンスが与えられて、得難い経験をさせてもらえることも珍しくありません。私の場合は、まったく縁もゆかりもなかった岐阜県やカナダで働く機会を与えられましたし、小泉首相の秘書官として北朝鮮にも2度同行する機会を得ました。

こういった様々な仕事の中で、ひそかにギネスブック級ではないかと思っているのが、財務事務次官としてお仕えした首相と財務大臣の数です。2009年7月に財務次官を拝命した当時の首相は麻生太郎さん、財務大臣は与謝野馨さんでした。しかし、その月のうちに衆議院が解散し、総選挙の結果、民主党に政権が交代。9月には新たに就任した鳩山由紀夫首相、藤井裕久財務大臣にお仕えすることになりました。しかし、翌2010年1月には藤井大臣が体調不良のため辞任し、新たに菅直人さんが財務大臣に就任。そして同年6月には内閣が総辞職し、今度は菅直人さんが首相に、野田佳彦さんが財務大臣に就任しました。わずか1年の間に3人の首相と4人の財務大臣にお仕えした財務次官は、おそらく私だけだと思います。

身近な生活の楽しみを味わう

身近な生活の楽しみを味わう

―2010年に退官されました。セカンドライフをどう過ごしていますか?

丹呉:実にさまざまなことがあった40年の公務員生活でしたが、その時々に与えられた仕事、求められた役割を懸命に果たしてきたので、悔いはありません。今は、気持ちを切り替えて民間でいくつかの職務に就いています。年齢的にはセカンドライフの始まりかもしれませんが、常勤の仕事をしているので、生活のリズムは公務員時代とあまり変わっていませんね。これからも求められる役割がある限り、公務員時代に培った経験や知見を活かして、社会に貢献していきたいと考えています。

公務員を卒業してからは少し時間に余裕ができ、プライベートでの時間の使い方が変わりました。特に楽しいのは4人の孫と過ごす時間です。自分自身の子供が小さい頃は仕事が忙しいのを言い訳に、子育ては妻に任せっきりでしたから、その罪滅ぼしもかねて、孫と遊ぶ時間を大切にしています。「子はかすがい」ならぬ「孫はかすがい」といったところでしょうか、孫がいるおかげで家族で過ごす時間の楽しみが増えています。

退官後に始めた、護国寺の鐘撞きの活動も大切にしています。ほぼ毎朝6時に自宅から25分ほど歩いて護国寺まで行き、仲間と交代で鐘を撞くだけなのですが、これが実に奥深いのです。ただ撞けばいいというのではなく、聞く人に心地よい余韻を残せるように撞くのが大切です。上手く撞けると快感ですし、何より毎朝の散歩は心身のリフレッシュにもってこいです。護国寺の境内はそう広くはありませんが、四季折々の花々が美しく、空気が澄んだ冬の朝には北斗七星もきれいに見えます。忙しく働いていたころには見逃してしまっていた身近な生活の楽しみを、これからは少しずつ味わっていきたいと思っています。

変化にひるまず、挑戦を

変化にひるまず、挑戦を

―最後に若い世代へのメッセージをお願いします。

丹呉:私たちの世代が生きた時代は、良い意味でも悪い意味でも制度が固定化していた時代です。しかし、これからの時代は違います。今の新型コロナウイルスの影響を見ても明らかですが、何が起きてもおかしくない時代です。変わりゆくもの、新しいものにひるまず、むしろ好奇心を持って挑戦し続けていただきたいと思います。

※この記事は2020年12月に行った取材をもとに作成しております。

今回お話を聞いた人

日本たばこ産業株式会社取締役会長、開成学園理事長、元財務事務次官
丹呉 泰健(たんご やすたけ)さん

日本たばこ産業株式会社取締役会長、開成学園理事長、元財務事務次官 丹呉 泰健(たんご やすたけ)さん

【丹呉 泰健氏プロフィール】
1951年東京都生まれ。1974年東京大学法学部卒業後、大蔵省入省。大垣税務署長、外務省在カナダ日本国大使館参事官、内閣総理大臣秘書官(小泉純一郎首相)、理財局長、主計局長などを経て、2009年財務事務次官に就任。2010年に退官後は経団連主査や内閣官房参与などを歴任。現在、日本たばこ産業株式会社取締役会長、大垣共立銀行取締役、開成学園理事長、横綱審議委員会委員などを務める。

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