【特集 セカンドライフ】第6回 人生100年時代。学び続け、変身し続ける人でありたい

「特集 セカンドライフ」は、経営者・リーダー・役員など会社で活躍するさまざまな人のセカンドライフ(第二の人生)を聞く特集企画。第6回は日本IBM初の営業系女性執行役員として活躍し、現在は複数の企業で社外取締役を務める鷺谷万里さんにお話を伺いました。

【特集 セカンドライフ】第6回 人生100年時代。学び続け、変身し続ける人でありたい

「サラリーマン」を目指した学生時代

―1985年、日本IBMに新卒で入社されました。入社の決め手は何だったのでしょうか?

鷺谷万里さん(以下、鷺谷):私、子供のころからずっと「サラリーマン」を目指していたんです(笑)。今は「将来の夢はサラリーマンです」なんていうと笑われてしまうかもしれませんが、当時は女性が大企業の総合職につくのはまだ「普通のこと」ではありませんでした。とはいえ、大学生になるころには少しずつ時代も変わり始めていて、周囲の大人が「これからは女性も仕事を持って自分でお金を稼ぐ時代になる」、「男性にできて女性にできない仕事はあなたたちの時代にはなくなる」と言うのを耳にしていましたし、母からは「大学を出たら自分で働いて生きていきなさい」と言われていました。私はそれを真に受けまして、とにかく大学に行って働かなくてはと思ってはいたのですが、具体的に行きたい業種のイメージが沸いていませんでした。ただ父の仕事の関係で小学校時代をオーストラリアで過ごし、海外で見知らぬ相手と打ち解けていく楽しさを経験していましたので、「せっかく生きているんだから、もっと広い世界を見てみたい」とは思っていました。

しかし、当時は航空料金が高くて個人が気軽に海外に行けるような時代ではありません。海外に行くには、父のように海外出張や海外勤務のある企業で働くことが一番現実的な方法のように思えました。そこで、「女性でも出張に行ける」という条件で就職活動を始めたわけですが、これがなかなか見つからない。当時は大手総合商社ですら、女性には出張をさせない時代だったのです。探しに探して、結局女性に出張が許されている会社は、外資系の銀行と日本IBMくらい。銀行で働くのは私にはハードルが高そうだったので、消去法で残ったIBMへの入社を決めた……というのが正直なところです。ちなみに私は理系出身ではなく、それまでコンピュータに触ったことすらありませんでした。

シングルマザーとして、マネージャーとして、がむしゃらに走り続けた30代

―入社後、29年間にわたってIBMに在籍し、常にビジネスの第一線で活躍を続けてこられました。IBM時代を振り返って、重要な分岐点といえるタイミングはいつだったと思われますか?

鷺谷:ふたつあります。ひとつ目は28歳でシングルマザーになったときです。当時まだ2歳だった息子に金銭面で不自由をさせないために、「精一杯、能力の限りを尽くして働かなくては」と最初のスイッチが入りました。息子を育てるのにどのくらいお金がかかるか想像もできなかったので、とにかく最大限働いて一人前のプロフェッショナルにならねばならないと思ったのです。当時、私は自ら志願して女性ではほとんど前例のない営業職に異動させてもらっており、猛烈に忙しかったのですが、妊娠した当時の上司が「まだ日本IBMでは子育てをした女性営業はいないから、職種変更をせずに営業を続けてみて良いのではないか。行き詰ったらその時に下りれば良いから」と言って下さったおかげで、すごく心が楽になったのを覚えています。良い上司に恵まれたことに感謝しつつ、とにかくやるだけやってみようと腹をくくり、息子は両親に預けて、ひたすら働く日々が続きました。負担をかけてしまった両親と息子には、頭があがりません。

「馬に乗ったからには乗り続けなさい!」

鷺谷:ふたつ目の分岐点は36歳で初めて部長に登用されたときです。これまでの努力が認められ、新たなチャンスを与えてもらったこと、マネージャーとして新しい学びが得られることが嬉しかった反面、「女性だから下駄を履かせてもらっているんだろう」という見方をする人もいたので、とにかく結果を出さなければという焦りもありました。当時、ある女性の先輩から「いったん馬に乗ったからには乗り続けなさい。もし万が一落ちてしまったら自力で這い上がって、もう一度乗ればいい」と言われたのですが、まさにそんな感覚で毎日が試行錯誤の連続。休日出勤や接待も珍しくありませんでしたが、その分、学びが多くて忙しさもさほど気にならず、とにかく前進あるのみの毎日でした。

そんな日々を過ごしているうちに、自分がいつの間にかGlass Ceiling、Glass Wall(※)を少しは克服できた感覚を得る事ができました。
結果として、従来は暗黙知で「男性の仕事」とされてきた営業系の役員に女性で初めて就任できたことは、「女性でもチャンスを与えれば出来なくない」ということを示せたという意味で、非常に嬉しく思っています。

※組織内で、性別や国籍などにより昇進や地位向上を阻む目に見えない障壁のこと

働き方を変えたとき、「セカンドライフ」が始まる

―2014年に29年間勤務した日本IBMを退社、現在は複数の企業の社外取締役として活躍を続けておられます。定年前にIBMを退いた理由は何だったのでしょうか?

鷺谷:29年という長い間、言葉に尽くせないほど多くの貴重な経験をさせてくれたIBMには感謝しています。ただ、長く一つの企業で働いていると、経験値でこなせる仕事の比率がどうしても多くなってきてしまう。そのまま定年までの期間を過ごしてしまうよりは、新天地で新たな経験や学びを得るために転職するのも良いと考えました。

以来、複数の企業で役員や社外取締役などを経験させてもらっていますが、ひとつの会社で新卒から定年退職まで働き続ける生き方を辞めると、不思議なほど「定年」という概念が気にならなくなってくるんですよね。そもそも、IT企業では定年がないところも珍しくありませんし、これからは「定年を境にセカンドライフが始まる」という考え方自体が成り立ちにくくなってくるのではないかと思います。

セカンドライフは「自分で時間や場所を選べる自由な働き方」

鷺谷:「人生100年時代」が現実味を帯びる中、60歳や65歳で定年を迎え、その後は働かずに隠居生活を送りたいと願う人ばかりではないはずです。むしろ、私の周囲には「経済的に余裕を持って暮らしたい」「社会に貢献したい」「居場所がほしい」などの理由で、定年後も働き続けたいという人の方が多いですし、私自身も体力の続く限り、何らかの仕事を続けたいと思っています。

これからは、「定年」をファーストライフとセカンドライフの境界と考えるのではなく、「雇用主に大半の時間や場所を管理されつつも安定収入を得られる働き方」から、「収入の波やリスクがあっても自分で時間や場所を選べる自由な働き方」に移ったとき、たとえば会社員をやめてフリーランスになったり起業して事業を始めたりしたタイミングで、セカンドライフが始まると考えたほうが、しっくりくるのではないかと思います。その意味で、私は3社目の外資系IT企業を退職した時点で、すでにセカンドライフを生き始めているということになりますね。

セカンドライフを豊かにしてくれる「無形資産」を築こう

―なるほど。働き方を変えることによって、人生の新たなステージとしてのセカンドライフが始まるということですね。鷺谷さんご自身は、どのようにして新たな働き方を選んだのですか?

鷺谷:私の場合は60歳を意識せずに新しいことに早く挑戦したいという気持ちが強かったので、まずは自分が何に興味を持っているのかを.探るために、ジャンルを限定せずに色々な外部セミナーや講座に参加してみて「自分探し」をしたんです。その結果、やはり「経営」が自分の興味分野であることが再認識できたため、セカンドライフでは自分の得意分野を生かして企業の経営に参画できる社外取締役として働く道を選びました。

【参加したセミナーや教室】

○各種ITセミナー(自分のメインのプロフェッショナル分野 知識の棚卸しのために参加)
○大学の社会人向けデジタル・マーケティングセミナー(自分の2番目のプロフェッショナル分野 知識の棚卸しのために参加)
○社会人向けビジネススクール(コーポレートファイナンス)
○コーポレートガバナンス・コース
○資産運用セミナー
○料理教室

鷺谷:おかげさまで、今のところ私のセカンドライフはとても充実していて、会社員時代よりも時間的な余裕を持ちつつ、やりがいのある仕事に取り組めています。ここのところ実感しているのは、充実したセカンドライフが送れるのはファーストライフ、つまり私の場合は会社員時代に築いた「無形資産」のおかげだということ。無形資産とは、ロンドン大学のリンダ・グラットン教授が自身の著書「LIFE SHIFT」の中で指摘している以下の三つの資産のことです。

① 生産性資産(仕事に役立つ知識やスキル)

言うまでもなく、会社員時代に身に着けた知識やスキルが今の仕事につながっています。

② 活力資産(健康や良好な家族・友人関係)

IBM時代の社内のネットワークはもちろん、企業のダイバーシティマネジメントを支援するために他社の女性管理職の皆さんとともに立ち上げた企業交流会「J-Win」や他の企業交流会で培ったネットワークが、公私ともに大きな支えになっています。

③ 変身資産(変化に応じて自分を変えていく力)

IBMでは幹部候補になると2~3年の短いスパンで様々な部署のマネジメントを任されました。その都度、1から新しい分野に挑戦することになるため、柔軟に新しい環境に適応できる力を培うことができるようになりました

もちろん、セカンドライフを楽しむには無形資産だけでなく、ある程度は有形の資産(お金)も必要ですよね。その点では私は少し後悔をしています。というのも、若いころは時間がなく、人に勧められて少し株式投資をしたくらいで、特に資産運用をしてこなかったのです。ところが、1~2年前にセカンドライフを考えるにあたって、不動産業者や金融業者が主催している資産運用講座に参加してみたところ、意外にも30代前半くらいの女性がたくさん参加して勉強しているのを見て驚きました。今は、インターネットを使えば情報が集めやすいですから、仕事をしていても資産運用に取り組みやすい状況になっているんですね。早くから勉強をして資産運用を始める人と、そうでない人の差は、今後ますます大きくなっていくのではないかと思います。

サードライフも見据えて、日々新たな挑戦を

―最後に、今後の目標を教えて下さい。

鷺谷:自由な時間を多く持てることは贅沢なことでもありながら、退屈とも背中合わせかもしません。そこで、これからも退屈しないように、生涯ずっと新たなことに触れ、学び、感動する心を大切にしていきたいと思っています。あとは、会社員時代にサボっていた「人並みに丁寧に暮らすこと」を実践し、大人の女性としての完成度を高めていきたいですね。死んだ後に「鷺谷さんってよく働いてたけど、ガサツだったよね」と言われないように(笑)。

あとは、若い世代へのサポートにも引き続き取り組んでいきたいと思っています。最近はめまぐるしい社会の変化、特に次々に新しい技術が登場することに戸惑い、「AIに仕事をうばわれるのではないか」という不安を持つ人も多いようですが、それは杞憂だと思います。ITの進歩は人間を助けるためにあるわけですから、それを脅威と感じる必要はありません。むしろ「新しい技術を使って楽をしてやろう」というくらいの前向きなマインドセットを持っていれば大丈夫。大切なのは、アンテナを常に張って、新しいことに興味を持って学び続け、恐れずに変身する柔軟さを持つこと。そうすればセカンドライフはもちろん、その次のサードライフがあったとしても、一生、何らかの形で働き続けることができるのではないかと思っています。

※この記事は2020年10月に行った取材をもとに作成しております。

今回お話を聞いた人

鷺谷 万里 (さぎや まり)さん

鷺谷 万里氏 プロフィール
88年から金融システム事業部で営業職に就く。96~99年にIBMアジアパシフィックに出向、外国人役員補佐、ソリューション企画。2005年に日本IBM初の営業系女性執行役員に就任。IBM退社後、二つの外資系IT企業にて常務執行役員。2019年から複数の企業で社外取締役を務める。

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