【特集セカンドライフ】第11回 会計の力を若い世代に~セカンドライフは社会のために生きる時間〜

「特集 セカンドライフ」は、経営者・リーダー・役員など会社で活躍するさまざまな人のセカンドライフ(第二の人生)を聞く特集企画。第11回は公認会計士として国内屈指の大手監査法人で活躍、現在は多摩大学大学院などで後進の指導にも取り組む井村順子さんにお話を伺いました。

【特集セカンドライフ】第11回 会計の力を若い世代に~セカンドライフは社会のために生きる時間〜

22歳で味わった人生初かつ最大の挫折

22歳で味わった人生初かつ最大の挫折

―群馬県前橋市のご出身とうかがいました。どんな子供時代を過ごされましたか?

井村順子さん(以下、井村):実家は前橋市で製造業を営んでいました。曾祖母、祖父母、父母、叔母、私達3姉妹の計9人の大家族で、そして住まいは会社と同じ敷地内にあったので日中は従業員や取引先の人などの出入りも多く、家はいつも賑やかでした。両親が忙しかったこともあって、私は会社の経理を担当していた祖母と過ごすことが多く、今にして思えば、「そろばん」や「帳簿」はごく身近な存在でした。だからといって、自分が将来、会計に関連する仕事に就くとは夢にも思っていませんでした。

夢中になっていたのは、虫や植物の観察。図鑑を抱えて庭や野山を歩きまわり、みつけた虫や植物の名前を調べるのが大好きでした。犬や猫も家族の一員で感性の豊かな子供時代を過ごしたと感じています。

進学した大学では勉強よりもサークル活動に勤しみ、楽しい学生生活を満喫しました。
でも、卒業前に臨んだ就職活動で、私は人生で初めての、そして最大の挫折を味わうことになります。当時(1983年)は、まだ男女雇用機会均等法の施行前で、大卒の女性を積極的に採用する民間企業はごく少数。在学中から「女性は就職が難しい」とは聞いてはいたものの、実際に自分がそれを経験するまでは「まあ、なんとかなるだろう」と甘く見ていました。しかし、実際には、志望した企業はほとんど門前払いか不合格。自分の働き口さえ見つけられない現実に、ただただ愕然とするしかありませんでした。

新卒で宇宙開発事業団へ。専門性のない自分に焦る日々

新卒で宇宙開発事業団へ。専門性のない自分に焦る日々

―最終的に、民間企業ではなく宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構。以下、JAXA)に就職されましたが、どのような経緯があったのですか?

井村:就職が決まらずに消沈している私を見かねた父が、「民間企業にこだわらずに政府関連の団体も受けてみれば」と助言してくれたのです。藁にも縋る思いで入社試験を受けたJAXAに、なんとか合格することができました。当時、日本の宇宙開発は黎明期から成長期へと発展を始めたばかりでJAXAの知名度も低く、周囲に就職先を告げると「宇宙開発事業団? 不動産会社ですか?」なんて言われたこともありました(笑)。同期は20数名。みな男性でほとんどが技術系。就職活動で疲弊しきっていた私にとって、「日本の宇宙開発を自分たちが切り開く!」と語る同期たちは輝いて見えました。

入社して最初の2年半は予算を担当、その後、人事に異動になりました。大型国産ロケットの本格的な開発や初の日本人宇宙飛行士の選考など、新しいことが次々に始まるわくわく感もあり仕事は楽しく充実している一方で、私は自分自身のキャリアについて漠然とした不安を抱いていました。というのも、周囲は宇宙に関わることを目的にJAXAに入社した高い専門性を持った技術者たちばかり。そんな中で、事務屋さんの自分は何ができるのか。何か専門分野を身に着けたいと思うようになったのですが、具体的に何をすれば良いのかわからずに、ただ焦る気持ちだけが募る日々が続いていました。

転機となったのは、大学の同級生との再会です。彼は公認会計士になっていて、監査法人に入所してまだ間もないのに責任ある仕事を任されているらしく、仕事の話をする様子がとても楽しそうで生き生きとしていました。そんな彼を見て単純に「うらやましいなぁ」と思った私は、会計士の資格試験が難しいことも知らずに、無謀にも「私も公認会計士になろう」と決心、すぐに勉強を始めることにしました。彼にはたいそう怒られましたが、「彼が受かる試験なんだから、私でも受かる!」と、軽く考えていたのです。もちろん、現実はそんなに甘くはなかったのです……。

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―仕事をしながら、勉強はどのように進めたのですか?

井村:最初の1年は仕事をしながら、夜に予備校に通いました。予備校の教科書はすごく良くできていて、学生時代には理解をあきらめていた分野も、すらすらわかるようになって嬉しかったですね。でも、残業で授業に遅れて行くことも多かったですし、仕事で疲れて授業に集中できない日も多くて、なかなか思うようにはいかず……。ダメもとで受けた初回の試験は、当然ながら不合格でした。そこで、「これじゃいけない、会社をやめて勉強に集中しよう」と決心して、5年間勤めたJAXAを退職しました。しかし、両親は大反対。「せっかく安定した職場に入れたのに、受かるか受からないかわからない試験のために辞めるなんて……」と。でも、私は不思議なことに全く気にならなかったのです。根拠はなかったのですが、絶対に自分は受かると思い込んでいましたし、何よりも勉強がすごく楽しかったからです。

簿記って本当に美しい!というのが感動の始まりでした。その後も会計の世界に感動しながら勉強を続けて、なんとか3回目の挑戦で公認会計士試験に合格することができました。今にして思えば、あのとき会計士の仕事の楽しさを語ってくれた同級生がいなかったら、会計士を志すこともなかったはず。彼とはその後、同じ監査法人で働くことになるのですが、私の人生を大きく変えてくれた大切な友人であり、今でも信頼する存在です。

チームで働き、成長できた30年間

チームで働き、成長できた30年間

―試験合格後は、大手監査法人で主に上場企業の監査や上場支援を数多く経験されました。これまでの約30年間を振り返って、会計士の仕事の醍醐味はどのようなところにあると思っていますか?

井村:醍醐味は主に3つあります。まずひとつ目は、チームワークのすばらしさを実感しながら働けること。会計監査の仕事はチームで行うのですが、チームは経験の浅い順にジュニア、シニア、マネージャー、パートナーという職階に分かれています。現場に常駐して比較的基礎的な分野を担当するのがジュニア、同じく現場に常駐してある程度高度な分野を担当しつつ、その現場の管理も行うのがシニア。複数の顧客をコントロールし、監査の計画や結論の原案を作るのがマネージャー、そして責任者としてチームをまとめ、監査法人の経営にも携わることができるのがパートナーです。私もジュニアからスタートしてパートナーまで務めましたが、パートナーとしては常に「良いチーム」を作ることを意識していました。

良いチームの条件は、メンバー全員が持てる力と個性を存分に生かせるチームであること。メンバーは個性も能力もバラバラですが、それぞれに役割と期待をしっかり伝えることを心掛けていました。いつの間にか一人一人が期待以上の能力を発揮して一体感が生まれてくると、チームは1+1が2ではなく100になるような、すごい力になるのです。監査業務では突然予期しなかった事件が起こったり、時にはクライアントと対立してしまったり、などなどの修羅場もあります。チームの力でその困難を乗り越えた時に感じた絆や自分自身やチームメンバーの成長が、この仕事をしていてよかったなという喜びを実感する瞬間です。もしかしたら、幼い頃に大家族のにぎやかな環境で育ち、人と話したり一緒に作業したりすることが好きなことが、思いがけずチームでする仕事に活かされたのかもしれません。

会計士だからこそ見えてくる企業の本当の強み

会計士だからこそ見えてくる企業の本当の強み

井村:ふたつ目は、監査を終えて監査報告書に責任者として自分の名をサイン・押印する瞬間の喜びであり、パートナーならではの醍醐味です。監査業務の最終成果物である「監査報告書」はたった1枚の紙きれですが、この1枚にチームの1年間の熱意と努力が凝縮されています。だからこそ無事に監査報告書を提出できた時の感慨は何ともいえないもの。心の中でチームのみんなに「よくがんばったね」と呼びかけながら押印するときの達成感と喜びは、まさに会計士の仕事の醍醐味であり、今もって忘れることができません。

3つ目の醍醐味は、監査を通じてクライアント企業の本当の強みを理解できることです。例えば、常に業績を伸ばして成長し続けている企業について、一般的には「この商品がヒットしたから」とか「このマーケティングが功を奏したから」とか分析することも多いと思います。
しかし、会計監査を通じてクライアントと向き合っていると、そういった外見でわかる強みだけではない、もっと本質的な強み、言い換えると、その会社が世の中に存在する普遍的な意義が見えてくることがあるのです。そういった強みをわかっているからこそ、時には厳しいアドバイスができますし、そのような過程を経て強い信頼関係も築かれていきます。会計監査でのクライアントとの関係は一時的なものではないので、そのような過程や紆余曲折を経て企業が発展していく道のりが企業の歴史になっていくと感じた時に、会計士としての貴重な経験ができたと感じます。

セカンドライフのミッションは、知識や経験を若い世代にシェアすること

セカンドライフのミッションは、知識や経験を若い世代にシェアすること

―2020年に還暦を迎えられました。セカンドライフを意識したことはありますか?

井村:はい、まさに今、セカンドライフの真っただ中にいると感じています。2018年に監査法人を退職した後は個人事務所を開業しその業務とともに、複数の企業で社外取締役を務めさせていただいたり、ビジネススクールや大学で社会人や学生の皆さんに会計や監査を教えたりと、それなりに充実した日々を送っています。

ただ、これまでとは働くモチベーションが大きく変わりました。会社員時代は会社のため、組織のために働いてきましたが、会社員を卒業した今、私の原動力は自分のためでも組織のためでもなく、「社会のために働きたい」という思いです。特に力が入ってしまうのが、ビジネススクールでの授業です。将来の自分に投資をしようと懸命に学ぶ皆さんの姿は、会計士になろうと必死で勉強していた当時の自分そのもの。前向きにキャリアを築こうとする気持ちが痛いほどわかるだけに、心から応援したい気持ちでいっぱいになります。これまで培ってきた会計や監査に関する知識や経験を皆さんにシェアすること、そして会計の力をこれから社会で戦っていくにあたっての「武器」にしてもらうことが、大げさですが、私の今のミッションだと思っています。

「想いを伝える遺言、思いやりとしての遺言」

「想いを伝える遺言、思いやりとしての遺言」

―今後の目標を教えてください。

井村:ふたつあります。ひとつ目は、精神的な整理整頓をすること。これまでの人生を振り返って、今の自分に必要のないことと、ずっと大切にしていきたいことを見極めていきたいと思っています。お手本は、今年87歳になる私の母です。母のすごいところは、今でも周囲の人に必要とされているところ。最近は得意の裁縫の腕を活かしてマスクやエコバッグをせっせと作っては家族や友人にプレゼントし、喜ばれているようです。私も先日、「会議中にお茶が飲めるマスクを作って!」とリクエストしたら、楽しそうに作ってくれました。そんな母を見ていると、人から頼りにされることは元気の秘訣なんだなあと実感します。私も母のように、仕事を辞めた後でも、一人の人間として誰かに必要とされ信頼される存在であり続けたいと願っています。そのためにも、仕事以外に何か皆さんのためにできることを身に着けたいと思って、目下模索しているところです。

ふたつ目の目標は、物理的な整理整頓、つまり断捨離です。不要なものは処分して身軽に暮らしていきたいと思っています。ただ、その一方で母のように自由気ままに好きなことをして暮らすためには、それなりの資産を蓄えておくことも必要だと感じています。それは、さらに資産を増やしたいとか、誰かに残したいという気持ちはなくて、人生の最後にお葬式代が残るくらいにバランスよく活用していけたらいいかな……というのが今の率直な気持ちです。ただ、老後には予測できないことも起こるでしょうから、専門家の知恵も借りながら上手に老後の資産設計に取り組んでいきたいと思っています。

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井村:実は、今から10年ほど前、身内を相次いで亡くしたことをきっかけに、夫婦でそれぞれ遺言状を作成しました。残った人たちに自分たち夫婦を気持ちよく見送ってもらうためにどうしたらよいかと考えて、友人の弁護士に依頼して作成しました。当時はまだ50代でしたし、ほとんど思い付きで書いたようなものですから、今の気持ちとはちょっと内容にずれが生じてきてしまっています。どうしようかな……と思っていたところ、先日、たまたま手に取った三菱UFJ信託銀行の会員誌「Excellent Club News」の中のコラムに、「これこそ私がやるべきこと!」と目が釘付けになりました。

コラムのテーマは「想いを伝える遺言と思いやりとしての遺言」。特に感銘を受けたのが、コラムの中でMUFJ相続研究所所長の小谷亨一さんがおっしゃっていた「残された人達が相続が原因で揉めたり争ったりしないで済むように……相続人を幸せにする『思いやりとしての遺言』である」という部分です。遺言というと、とかく自分の想いを伝えることだけに意識が向いてしまいがちですが、受け取る人の気持ちや幸せも考慮した遺言が作れたら、嬉しいですよね。これから主人とも話し合って、「想いを伝える遺言と思いやりとしての遺言」を念頭に、遺言の内容を見直してみたいと思っています。

始めるのに遅いことはない。思い立ったら、すぐに始めよう

始めるのに遅いことはない。思い立ったら、すぐに始めよう

―最後に若い世代の皆さんにアドバイスをお願いします。

井村:公認会計士になりたいという自分の想いを実行したときが私の人生の岐路だったと感じています。その経験から若い世代の皆さんにアドバイスしたいのは、「思い立ったときに始めよう!」ということです。何かを始めるのに遅すぎるということはありません。何かをしてみたいと思ったら、そのときがベストのタイミングだと信じて、すぐに行動に移しましょう。

もうひとつは、なんでも自分だけでやろうと思わないこと。さきほどお話したように、チームワークの力は偉大です。一人ではできないことも、皆で力を合わせれば大きな壁も乗り越えられるはずです。ただし、単に人に頼ろうという気持ちだけでは、当然うまくいきませんよね。人にも頼ってもらえる自分であること、信頼して頼り合える関係を築くことが大切なのではないでしょうか。

人生には「これをすれば万事うまくいきますよ」なんていう、魔法はありません。何か特別なことをしようとするのではなく、目の前のこと一つひとつに、一生懸命に取り組んでみてください。その単純で愚直な積み重ねが、きっと次のステージへ皆さんを連れていってくれるはずですから。

※この記事は2020年12月に行った取材をもとに作成しております。

今回お話を聞いた人

公認会計士、多摩大学大学院客員教授
井村 順子(いむら じゅんこ)さん

公認会計士、多摩大学大学院客員教授 井村 順子(いむら じゅんこ)さん

【井村 順子氏プロフィール】
1960年群馬県生まれ。横浜国立大学経済学部卒業。1983年宇宙開発事業団(現 宇宙航空研究開発機構)入社。 1990 年 朝日新和会計社(現 有限責任あずさ監査法人)入社、 1993年5月 太田昭和監査法人(現 EY 新日本有限責任監査法人)入社後、1994年8月に公認会計士登録。 2005年5月 新日本監査法人(現 EY 新日本有限責任監査法人)パートナー、 2011年6月 同社シニアパートナーに就任。 2015年9月 多摩大学大学院客員教授(現任)、 2018年7月 井村公認会計士事務所開設(現職) 2019年6月 株式会社商船三井監査役(現任)、2019年12月 長谷川香料株式会社監査役(現任)、2020年4月 東海大学政治経済学部非常勤職員(現任)、2020年7月 三菱UFJ信託銀行株式会社取締役(監査等委員・現任)。

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