【特集 セカンドライフ】第10回 種をまこう、未来のために〜野村 修也さん〜

「特集 セカンドライフ」は、経営者・リーダー・役員など会社で活躍するさまざまな人のセカンドライフ(第二の人生)を聞く特集企画。第10回は中央大学法科大学院教授で、弁護士やTV番組のコメンテーターとしても活躍中の野村修也さんにお話を伺いました。

【特集 セカンドライフ】第10回 種をまこう、未来のために〜野村 修也さん〜

弁護士志望から学者志望へ

―北海道・函館のお生まれと伺いました。どんな子供時代を過ごしましたか?

野村修也さん(以下、野村):父は高校教師、母は専業主婦という、ごく普通の家庭で生まれ育ちました。父は大正生まれですが、父の世代にしてはとても民主的な考え方の持ち主で、家庭内で何かを決めるときは家族会議を開いて皆の意見を聞いてくれるような人でした。

ちょうど私が小~中学生のころは学生運動の最盛期で、世の中全体が大きく変わろうとしていた時期。学校でも「生徒自らが、よく話し合って学校生活をより良くしよう」という機運が高まっていて、私も小学校・中学校では選挙に出て、生徒会長を務めました。勉強は好きで成績も割と良い方だったと思いますが、中高生の勉強は暗記中心の、いわゆる受験勉強ですから、深い学びはありませんよね。決して勉強が嫌なわけではなかったのですが、高校生になるころには、心のどこかで「こんな勉強をして、なにか意味があるんだろうか」と、小さな違和感を抱えていました。その違和感が後々、自分の生き方を大きく変えることになるのですが、当時はそんなことを予想できるわけもなく、子供の頃から憧れていた弁護士になるべく、法学部を目指して受験勉強に励んでいました。大学は高校の先生が勧めてくれた中央大学の法学部を受験して合格、入学当初は弁護士になる気満々でした。

―しかし、実際には弁護士ではなく、学者への道に進まれました。何かきっかけがあったのですか?

野村:きっかけは、入学直後に参加した食事会です。中央大学では当時、OBの有志の方が建てたアパートを借り上げて学生に安く貸し出しており、私も入学と同時にその一室に入居しました。アパートには法学部だけでなく、いろいろな学部の先輩がいて、新入生の私のために歓迎の食事会を開いてくれたんですね。その食事会で私は、高校時代に密かに抱いていた「勉強への違和感」が何だったのかを思い知ることになりました。

というのも、自分ではそこそこ勉強してきたと思っていたのに、食事会での先輩方の会話にまったくついていけないのです。たとえば哲学科の先輩からカントの話をされても、さっぱりわからない。もちろんカントが哲学者であることくらいは知っていましたが、それだけです。カントについて何も語ることができない自分がふがいなくて……。そこで一念発起してカントを読み、自分なりに理解して次の食事会に臨むわけですが、今度はカントではなく、また別の、私の知らないことが話題になっているわけです(笑)。自分にはこの社会で生きていくにあたって、どうやって物事を考えるべきなのかが何もわかっていないという事実に愕然としました。「このままでは、まずい」ということで、その後2年間は法学という枠にとらわれず、とにかく本を読み、いろんな人に話を聞いて自分なりに学びを深めていきました。

その結果、大学3年生になるころには、弁護士ではなく法学者になろうと思うようになりました。弁護士として個々人の問題を解決する仕事よりも、学者として社会の課題を解決に導く方法を研究し、より暮らしやすい社会づくりに貢献する仕事をしたいと考えたからです。

そこでゼミの先生に「大学の教員を目指したい」と打ち明けたところ、最初は反対されました。「なれるかどうかわからない大学教授よりも、まずは弁護士を目指したほうが良い」と。でも私が諦めないことがわかったのでしょう、ある日、研究室に行くと、先生が机と椅子を用意しておいてくれて「自由に使っていい。本や資料も好きに読んでいい」と言ってくれました。今にして思えば、あの日から私の研究者としてのステージが始まったのだと思います。

未来予想図を生きた20代~30代前半

―大学院卒業後、西南学院大学(福岡)の講師・助教授に就任されました。20代にして早くも「大学で教える」という夢が叶ったわけですね?

野村:そうですね。今にして思うと、20代~30代半ばまでは幸運にも、まさに自分が未来予想図として思い描いていたとおりのキャリアを着実に歩めた時期だったと思います。西南学院大学には、もともと中央大学で保険法を教えていた先生にお誘いいただいて1989年に講師として着任、92年からは助教授として通算10年間在籍していたのですが、本当に楽しくて充実した10年間でした。この10年間に学問だけでなくゼミの学生たちとしっかり向き合った経験が、大学教授としての私の基盤となり、大学教授として生きていく自信につながったと思っています。

その後、36歳で母校・中央大学に戻り、法学部の教授に就任しました。当時、30代で教授になるのは法学部では珍しく、おそらく全国でも最も若い部類だったのではないかと思います。そして、その若さがひとつの要因となって、私の人生は思いもかけぬ方向に動き出すことになります。

想定外の出来事に、あえて巻き込まれてみる

―具体的にどのような変化があったのでしょうか?

野村:私が中央大学に戻った1998年は大蔵省の職員が銀行に接待を受けた汚職事件が発覚し、霞が関に激震が走った年でした。この不祥事を受けて、当時、大蔵省を財務省と金融監督庁とに分離する動きが進んでおり、金融監督庁に史上初めて民間人の非常勤職員を採用することになりました。その際、採用対象として「私立大学で商法を教えている若手教授一人」という政府の方針が決まったのです。要はエライ重鎮の先生ではなくて、使い勝手の良い若手を連れて来いってことになったわけですね。そこで、白羽の矢が立ったのが私です。そう、民間人かつ若手で、かつ文字通りの「ペーペー」ですから、私が適任ということだったんでしょう(笑)。

あれよあれよと言う間に話が進んで、私は金融監督庁検査部(金融庁検査局を経て、現在は監督局に統合)の非常勤参事という肩書で仕事を始めることになり、そこから私の人生は大きく変わりました。それまで大学という狭い世界で生きてきた私が、金融庁をはじめ政府の仕事に深く関わるようになり、有識者会議やタスクフォースのメンバーとして、公務員の皆さんや幅広い分野の専門家の皆さんとともに働くことになったわけですから、それはもう大変な変化です。そしてその変化は、また次なる変化を呼び、私自身では予想もできなかった展開に次々と巻き込まれて、結果、今に至っています。

野村:本業である大学教授の仕事でも大きな変化がありました。2000年ごろから日本でも欧米のように法科大学院(ロースクール)を作る動きが活発になってきて、私も2004年から中央大学の法科大学院で教えることになったのです。私はそれまで長く法学部で教えてはいましたが、弁護士登録はしていませんでした。すると「手術をしたことのない医者が医者を育てられないのと同じで、弁護士を育てるなら弁護士経験があったほうがいい」みたいな意見が出てきまして、大学側から「なるべく弁護士登録をしてください」と言われたのです。そこで重い腰をあげて弁護士登録し、森・濱田松本弁護士事務所に所属して、弁護士としての仕事も始めることになりました。18歳で弁護士ではなく学者の道を選んだのに、まさか40歳を過ぎて弁護士になろうとは……。つくづく、人生は何が起こるかわからないものだと思いますね。

でも結果として、政府の仕事にも弁護士の仕事にも挑戦して良かったと思っています。自分が思い描いたとおりの安定した生活も魅力的ですが、向こうからやってくる波にあえて身を任せ、巻き込まれてみるのも面白いものです。結果がどうなるかは未知数ですが、巻き込まれることで、自分一人では到底たどり着けなかった新しい世界を見ることができるし、新しい経験を積むことができます。思いもよらなかった形で自分の力を世の中に役立てることもできます。誰かから声をかけてもらったら、思い切ってひょいと飛び込んでみる、そんな柔軟さが人生をより味わい深く、面白くしてくれるのです。

どんなセカンドライフがやってきても対応できる「準備」が大切

―来年(2022年)には還暦を迎えられます。老後のセカンドライフのために何か準備していることはありますか?

野村:実はまだ自分が老後を迎えるという事実に意識が追い付いていなくて、具体的にどんなセカンドライフを送りたいのか明確なビジョンは描けていないのです。もし計画を立てたとしても計画通りに行かないことも多いでしょうし、また何かの波に巻き込まれて思いがけないセカンドライフを過ごすことになるかもしれません。

だから今、私にできることは、どんなセカンドライフを送ることになっても大丈夫なように、準備をしておくことだと思っています。つまり、セカンドライフを安心して過ごせるだけの「お金」と「健康」、そしてセカンドライフをより豊かにしてくれる「交友関係」を、今のうちに整えておきたいなと思っています。この3つはいずれも一朝一夕に手に入るものではないので、老後に入ってから準備するのでは遅すぎますよね。私もまだ現役で働いている間に、各分野の専門家の力を借りながら、少しずつ資産形成や健康づくりの準備を進めていきたいと思っています。

もっとも、今の私にとって理想のセカンドライフは、いわゆる隠居生活ではありません。むしろ、体と頭が働く限り、生涯現役で働きつづけるのが理想です。学者としてはより良い社会の実現に貢献する役割、弁護士としてはクライアント一人ひとりの問題を解消へと導く役割を、今後も果たし続けていきたいと思っています。そのためにも、まだまだいろんなことに挑戦して、スキルを磨き、力を蓄えていきたいですね。

収穫できるのは、種をまいた人だけ

―最後に、若い世代へのメッセージをお願いします。

野村:同じように暮らしていても、次々に良い出会いやチャンスに恵まれているように見える人とそうでない人がいますよね。上手くいっている人を見て、「あの人は運がいいから……」と羨ましく思ったことがある人も多いでしょう。でも、実際には運の良し悪しは、そんなに関係ないんですよね。というのも、チャンスは誰か特定の人にだけ訪れるのではなく、誰にでも平等に訪れているものだからです。問題は訪れたチャンスに気付けるかどうか、そしてそのチャンスをつかむ準備ができているかどうかです。

畑を想像してみてください。日光や雨を受けて芽を出し、ぐんぐん伸びて花をつけ実を結ぶ畝がある一方、同じように日光や雨が降り注いでも、芽すら出さない畝もあります。2つの畝の違いは何でしょうか? そう、種がまかれているかどうかです。種をまいていない畝にいくら栄養や水を与えても芽は出ません。人間も同じように、どんなチャンスが訪れたとしても、そもそも種をまいていない人、すなわち準備をしていない人はそのチャンスを掴むことができないのです。運の悪さを嘆くだけの人にはチャンスはやってきません。やってきたとしても、気づかないでしょう。

だから、常に準備を怠らない人でいましょう。常に学び続けて感性を磨き、目の前の仕事に最善を尽くして取り組んでください。そうやって自分を高めていれば、必ずチャンスは巡ってくるものですし、それをつかむこともできるはずです。もちろん、私もこれから来るべきセカンドライフのために、今からせっせとたくさん種をまいていこうと思っています。将来、その種が芽吹いてどんな美しい花を見せてくれるのか、どんな美味しい実をつけてくれるのかを楽しみに、日々自分を高めながら生きていきたいですね。

※この記事は2020年11月に行った取材をもとに作成しております。

今回お話を聞いた人

中央大学法科大学院教授、弁護士
野村 修也(のむら しゅうや)さん

【野村 修也氏プロフィール】
1985年 中央大学法学部卒業。1987年 中央大学大学院法学研究科博士前期課程修了(法学修士)。1989年 中央大学大学院法学研究科博士後期課程中退、西南学院大学法学部専任講師。1992年 西南学院大学法学部助教授。1998年 中央大学法学部教授、2004年より中央大学法科大学院教授。弁護士として活動する傍ら、文部科学省・学校法人のガバナンスに関する有識者会議委員、金融庁・検査局参事(意見申出審理会委員)など政府関連の職務にも積極的に取り組んでいる。森・濱田松本法律事務所所属。

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