【特集 セカンドライフ】第9回 人生100年時代、「おばあちゃんのロールモデル」を目指して

「特集 セカンドライフ」は、経営者・リーダー・役員など会社で活躍するさまざまな人のセカンドライフ(第二の人生)を聞く特集企画。第9回はNTTで初の女性役員として活躍後、現在はJAXA監事や複数の企業で社外取締役を務める小林洋子さんにお話を伺いました。

【特集 セカンドライフ】第9回 人生100年時代、「おばあちゃんのロールモデル」を目指して

1971年、16歳でプログラミング言語に出会う

1970年、16歳でプログラミング言語に出会う

―三重県伊勢市のご出身とうかがいました。どんな青春時代を過ごされましたか?

小林洋子さん(以下、小林):生まれたのは伊勢ですが、父が転勤族でしたので引っ越しが多く、幼稚園に上がるときに伊豆の下田に移って中学1年まで過ごしました。中学2年から高校1年までは北海道の根室、高校2年と3年は再び伊勢です。どの土地にも良い思い出があって、どこも私の故郷だと思っていますが、思春期を過ごした根室は特に思い出深い場所です。根室の高校には1年生までしかいませんでしたが、私の人生に大きな影響を与える出会いがありました。

そこで数学を教えていらしたA先生がとても先進的な方で、校内にコンピューター同好会を作られたのです。1971年のことですから、コンピューターなんてSFに近い存在。今のように個人がパソコンを所有するなんて想像もできない時代でした。でも私は興味を惹かれ、コンピューター同好会に入ってしまったんです。そして、今考えると笑ってしまうのですが、コンピューターを見たこともないくせに、コンピューター言語の「フォートラン」の勉強を始めました。最初はチンプンカンプンでしたけど、やってみると意外と面白くて、母に「そんな何も役に立たんことやるんやったら、ソロバンでもやったほうが、ええんちゃうん?」と呆れられながらも、結構まじめに勉強しました。これが、将来意外な場面で役に立つとも知らずに……。

この同好会の件もそうですが、うちは両親ともに、子供に何かを強制するようなタイプではなく、私には好きなことをさせてくれました。両親の性格は正反対で、船乗りだった父は社交的で何でもでき、どんな困難な事も「なんとかできる!」と前向きに考える人でした。親分肌で、職場でも多くの方々に慕われていました。
一方母は、内向的で何もできないお嬢様タイプ。心配性で、いつも「もし、〇〇だったら……もうおしまい」と後ろ向きになる人でした。例えば、家族でドライブ中に「事故で3人とも死んだらどうしよう」とオロオロしたり(笑)。

起こりうる最良のケースを思い描いてそれに向かって進む父と、最悪のケースを想定して気を揉んでいる母。この二人のもとで育った私は、自然に最良のケースと最悪のケースの両方を同時に考える癖がついてしまいました。楽観主義者な自分が暴走しそうになると、悲観主義者な自分がブレーキをかけるような性格になったんですね。ややこしい性格ではありますが、今にして思うと会社で仕事をする上では非常に役立ったので、両親には感謝しています。

電電公社からNTTへ。組織で働く面白さに目覚める

電電公社からNTTへ。組織で働く面白さに目覚める

―大学卒業後は、日本電信電話公社(以下、電電公社。現在のNTT)に入社されました。もともと情報通信業界を志していたのですか?

小林:いいえ、まったく(笑)!当時は女性が定年まで働き続けられる企業が少なくて、そもそも大卒の女性に入社試験を受けさせてくれるところも、ほとんどありませんでした。そんな中、電電公社は男女平等で、結婚しても辞めなくても良い職場だと聞いて興味をもったのです。「ちゃんとした会社に就職して両親を安心させたい」という気持ちが強かったですね。それと、これは当時の価値観ですが、母からは「きちんとした会社でまじめに働いている人と出会って結婚して、親を安心させてほしい」という無言のメッセージを受け取っていましたので(笑)、電電公社なら両親を安心させられると思いました。

要するに、何かをしたくて電電公社に入ったというよりは、親に喜んでもらえ、普通に働ける所に入ったというわけです。のちに取締役にしていただいたものですから、なんだかものすごい志を持って入社したように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。私も大多数の学生と同じように、よくわからないままに、なんとなく社会人のスタートを切ったに過ぎないのです。まさか定年まで辞めずにNTTで働き続けることになるなんて、想像すらしていませんでしたね。

―何が転機になったのでしょうか?

小林:42年間の在職中に、本当にたくさんの貴重な経験をさせてもらいましたが、今振り返ると、転機は二度ありました。
一度目は、1985年、入社7年目で経験した電電公社の民営化です。
当時、広報部にいた私は、民営化で生まれ変わる新しい会社のコーポレート・アイデンティティ(CI)を策定するチームに配属され、新会社の理念や方向性を明確にし、それを象徴するロゴマークを作るミッションを与えられました。実は、その直前に民営化準備の一環としてサントリーの宣伝部に出向していた私は、すっかりサントリーの社風に魅了されてしまい、電電公社をやめて、サントリーに転職しようとまで考えていたのですが、電電公社に戻ってから与えられたCIの仕事が忙しくて、転職を考える余裕なんてなくなってしまいました。いろんな人に会って意見を聞き、議論や検証を重ね、やっとできあがったのが、今も使われている「NTT」の呼称とロゴマーク(ダイナミックループ)です。

民営化初日の1985年4月1日、全国1330ヶ所(当時)すべての電話局に、あのマークが一斉に取り付けられたときの感動と喜びを、私は一生忘れないでしょう。前日の3月31日までは「電電公社」ですから、前もってNTTのマークに付け替えておくわけにはいきません。つまり、3月31日の夜に、全国1330ヶ所の電話局で名も知らぬ方々が、このマークを取り付ける作業を懸命にやってくださったんですよね。その様子を想像して、感謝と嬉しさで鳥肌が立ったのを覚えています。この経験を通じて、私は大きな組織で働くことの面白さに目覚め、その後、ひたすらそれを追い求めていくことになりました。

―もうひとつの転機というのは?

小林:二度目の転機は、1996年の12月にサービスを開始したインターネットプロバイダー「OCN」の立ち上げです。私は立上げチームでプロモーションの責任者を任されたのですが、このとき、高校のコンピューター同好会でフォートランをかじっていたことが、思いがけず役に立ちました。高校時代にコンピューターの世界に触れていたおかげで、まったく抵抗なく研究者や技術者と一緒にデジタルの世界に飛び込むことができたのです。

本当に、人生に無駄なことはありませんね。ただ、当時はまだインターネットが人類の生活をここまで大きく変えることを予測できていた人は少なく、私たち立ち上げチームは社内外から批判を受けることも多々ありました。

ある著名な物理学者の先生には「あなたねえ、主婦が電子メール使うと本気で思ってるの?ありえないでしょ」と一蹴されたこともありましたね(笑)。当時はまだパケット通信についての理解が薄く、インターネットは電話のように100%通信品質が保証されていると言えなかったため、社内の別部署の技術者からは「NTTがそんな不確実なものを提供するわけにはいかない」と猛反対されました。

そんないろいろなことを乗り越えて、やっとサービス開始にまで漕ぎつけたのが1996年の12月でした。やがて、OCNが日本でナンバーワンの会員数のインターネットプロバイダーになり、その後スマホなどのモバイルインターネットの急成長により、インターネットはもはや空気のような、意識しないけれども必要不可欠なインフラに成長しているのを見ると、実に感慨深いものがありますね。そして、働き続けてきて、本当に良かったと思います。もし仕事を続けていなかったら、私は今よりもっとダメな人だったはず。仕事を通じて私を成長させてくれた会社と皆様に感謝しています。

セカンドライフに入って、働き方に変化が

セカンドライフに入って、働き方に変化が

―NTTを退社後は、JAXAをはじめ複数の企業で監事や社外取締役を務めていらっしゃいますが、以前と比べて働き方は変わりましたか?

小林:大きく変わりました。NTT時代が私のファーストライフだったとすると、まさに今は第2の人生、セカンドライフを生きているなと実感しています。会社員や社内役員の時代は自分の能力を最大限、会社のために使っていました。会社の期待に応えることがミッションですから、どんな仕事を振られても「はい、喜んで!」という感じで働いていましたね。ポジションも自分では選べませんから、日当たりが悪かろうが、雨が少なかろうが、とにかく置かれた場所で精いっぱいきれいな花を咲かせるしかない。いわば、鉢植えの花のようなものです。

ところがセカンドライフに入って、社外の役員になってからは鉢植え的働き方はできなくなりました。今までとの決定的な違いは「社内」か「社外」かです。「社外役員」には、社内常識に染まることなくお客さまや国民の立場に立ち、より大局的で公正な見地から意見を述べることが求められます。それができるように常に自分で学び、自分で考えて行動しなくてはなりません。以前とは比べ物にならないほどの自主性が求められています。
しかも、これまで情報通信畑一筋でやってきた私にとって、社外役員を務める企業等の業界は知らないことばかりで、本当に毎日が勉強の日々です。先日も金融機関の方が「DC」とおっしゃるので、てっきりデータセンターのことだと思っていたら、確定拠出型年金のことだったり……(笑)。

でも、勉強は楽しいですし、この年になってもまだ新しいことを覚えられる、まだ脳みそが生きてるなって実感できて、嬉しいですね。このままセカンドライフを必要とされる限り走り続け、求められる仕事に区切りがついたら、仕事から離れて自分の時間を楽しむ「サードライフ」に入りたいと思っています。

お遍路に日本酒、サードライフもやりたいことがいっぱい

―サードライフでは、どんなことをやってみたいですか?

小林:ふたつあります。ひとつめは、四国八十八か所の霊場を巡るお遍路を「通し」で歩くことです。実は50代の初めにダンナと二人で歩き遍路をしたことがあるのですが、四国のお遍路は乗り物を一切使わずに通しで歩くと、2ヶ月近くかかるんです。当時はそんなに長く休めませんので、夏休みや5月の連休を使って四国まで11往復して、「区切り」で足掛け4年かけて1,440km踏破しました。サードライフに入ったら、時間をたっぷりかけて区切りではなく通しで歩きたいと思っています。

ふたつめは、大好きな日本酒のお店を出すこと。還暦のときに、何か記念になることをしようと思って、「利き酒師」の資格を取得したんですよ。これを活かして、美味しい日本酒をそろえた小さな店を開き、仕事帰りにフラッと立ち寄れる空間を作りたいなと思っています。「女性限定」の曜日も設けて人生相談などもやりたいですね。私のライフワークは、働く女性たちのサポートをすることなので、サードライフでは職場の先輩ではなくお店の女将の立場で、美味しいお酒を飲みながら女性たちの悩みや不安を聞いて、何かアドバイスやサポートができたらいいなと思っています。趣味で手相を見ていた父に教わって、私も手相の基本的な知識はあるので、これからきちんと学びなおして、手相を見ながら未来を考えておしゃべりするのも楽しいだろうなって思っています。

準備と継続、そしてプロを頼る素直な気持ちを大切に

―セカンドライフ、サードライフを充実させるために、資産運用など、何か準備してきたことはありますか?

小林:会社員時代はとにかく忙しかったので、自主的に何か特別なことはしていませんでした。しいていえば、専門家のいうことは素直に聞くようにしていた程度です。でも、結果として、これが大正解でしたね。例えば、個人年金保険。

NTTの支店で営業担当をしていたときに、出入りの生命保険会社の外交員の女性たちと、すごく仲良くなったんです。お客さんを紹介してもらったりして、いろいろと助けてもらいました。そこで、お礼代わりに、彼女たちが販売している個人年金保険に入ることにしました。付き合いのあった外交員さん全員から1種類ずつ入ったので、正直、毎月の保険料が痛かったですが、彼女たちは保険のプロです。そのプロが「今の金利の間に入っておくと、絶対に将来役に立つよ」って太鼓判を押してくれるんですから、とりあえず入っておかなきゃと思いまして(笑)。

結果として彼女たちの「予言」は大当たり!セカンドライフ、サードライフを過ごすには十分な金額を個人年金として受け取れるようになりました。株も、同じです。詳しい人に勧められて社内持株会で積極的に購入しておいたら、今ではかなり利益が出ていて、日本酒店の開店資金くらいにはなりそうです。もっと早くに投資を始めて、もっと上手にプロの力を借りていれば、今頃は億万長者だったかもって思っちゃいますね(笑)。

だから、若い人にお金のことで相談を受けたら、「時間」と「プロの力」を有効活用しなさいねってアドバイスするようにしているんです。自分が三菱UFJ信託銀行の社外取締役をしているから言う訳ではありませんが、若い人にはもっと気軽に銀行を活用してほしいですね。「ただ相談に行くだけなんて申し訳ない」と思っている人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。皆さんの相談は、銀行にとってマーケティング上の貴重なヒントになるんです。むしろ、自分という一顧客の貴重な情報を提供してあげる、くらいの気持ちで相談に行って、金融のプロをもっとうまく活用してほしいと思います。

あと、手前みそになりますが、三菱UFJ信託銀行のアプリ「わが家ノート」は便利ですよ!資産に関する情報や介護、葬儀に関する希望など16項目を書き込んでおけるアプリで、項目ごとに「共有したい相手」と「共有するタイミング(いますぐ・認知症診断後・死後)」を選んで設定することができるので、いざというときにすごく安心です。アプリ内に自分の資産を書き込んで可視化すれば資産形成のモチベーションも上がるはずですし、脳トレバトルもあって楽しいです。40代くらいから使い始めれば、楽しみながらより効率よく資産形成ができるようになるのではないでしょうか。

「おばあちゃんのロールモデル」になりたい

―最後に、今後の目標を教えて下さい。

小林:引き続き、どんな苦しいことが起こったとしても元気に機嫌よく毎日を過ごすことですね。そして、人生100年時代における「おばあちゃんのロールモデル」になれたらいいなと思っています。人生100年時代のおばあちゃんって、これまでの時代のおばあちゃんとは、まったく違う存在になると思うんです。その新しい「おばあちゃん」の在り方を形作っていくのは、きっと私たちの世代ですよね。「小林さんって、年をとっても元気で楽しそうだけど、私と同じ年齢のときには何をしていたのかな?」と興味を持ってもらい、私の仕事での経験や失敗が、若い女性たちへのヒントになれば嬉しいですね。そのためにも、これからも失敗をおそれず、いろんなことに挑戦し続けたいと思っています。

※この記事は2020年11月に行った取材をもとに作成しております。

今回お話を聞いた人

国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構 監事
小林 洋子(こばやし ようこ)さん

国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA) 監事 小林 洋子さん

小林 洋子氏 プロフィール
1955年三重県生まれ。1978年早稲田大学法学部卒業後、日本電信電話公社入社。サントリー宣伝部出向を経て、公社の民営化時にはCI(コーポレート・アイデンティ)の策定を担当し、現在のNTTロゴマークを作成。支店システム営業部長等を経て、1996年にインターネットの「OCN」を事業として立ち上げる。1999年NTT分割に伴いNTTコミュニケーションズに所属し、OCNを国内№1のインターネットプロバイダーに育てる。2008年NTT初の女性取締役に就任。2010年NTT コムチェオ株式会社代表取締役社長、経済同友会幹事(人材育成・活用委員会,新しい働き方委員会副委員長等)、2014年NTTコミュニケーションズ株式会社常勤監査役。2018年三菱UFJ信託銀行株式会社取締役監査等委員(現職)、2018年国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA) 監事(現職)、2020年株式会社大林組取締役(現職)。

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