【特集セカンドライフ】第18回 五輪3大会出場のメダリストが見つけた新たな可能性~星奈津美さん~

「特集 セカンドライフ」は、経営者・リーダー・役員など社会で活躍するさまざまな人のセカンドライフ(第二の人生)についての考え方を聞く特集企画。今回は持病のバセドウ病と闘いながら、五輪3大会連続出場・2大会で銅メダル獲得、2015年の世界水泳では金メダル獲得を果たした元競泳選手の星奈津美さんにお話を伺いました。

【特集セカンドライフ】第18回 五輪3大会出場のメダリストが見つけた新たな可能性~星奈津美さん~

水泳は自分との闘い。ひたすら自分に向き合い、挑み続けた現役時代

水泳は自分との闘い。ひたすら自分に向き合い、挑み続けた現役時代

―2016年の現役引退から丸6年が経ちました。現在はどんな活動をしていますか?

星 奈津美さん(以下、星):主に①水泳教室や、企業や学校などで現役時代の経験を伝える講演活動、②メディアなどを通じて持病のバセドウ病の理解を促進する活動、そして③水泳の魅力を発信する活動の3つを柱に、様々な活動をしています。
「現役引退後も泳いでいるのですか?」とよく聞かれるのですが、実は月に数回、ジムのプールで軽く泳ぐ程度で、現役時代に毎日何時間も泳いでいたのが、自分でも信じられません(笑)。当時は生活のほぼすべてが水泳でしたから、最近やっと客観的に競技を観られるようになった気がします。特にオリンピックは2008年の北京オリンピックから3大会連続で選手として出場していましたので、2021年の東京オリンピックは久しぶりに一観客として応援したり感動したりしながら観られたオリンピックでした。客観的な立場になって見てみると、やはりスポーツってすごいですよね。今回のWBCもそうでしたが、観る人に感動を与え、前向きな気持ちにさせてくれる力があります。私自身は現役時代、そんなことは思いもよらず、ただひたすら泳いでいたのですが、あのころ、私が泳ぐ姿を見て少しでも同じ気持ちになってくれた方がいたら嬉しいなあって思っています。

―星さんにとって水泳の魅力はどんなところにありますか?

:一番の魅力は、無心になって自分自身と向き合えるところだと思います。水泳って他の競技と違って競技中、誰ともしゃべれないですし、ほぼ何も聞こえないんです。ですから現役引退後にフルマラソンに挑戦したとき、「きついね~」と他の選手と話しながら走ったり、音楽を聴きながら走れることがすごく新鮮でしたね(笑)。水泳の場合、試合でも練習でも泳いでいる間は、ほぼ何も聞こえない静寂の世界。見えるのも水とプールの底くらいで、話し相手も闘う相手も、自分自身しかいない。でもその分、自分自身に集中して向き合えるんですね。そして自分と向き合った結果は良くも悪くも、泳ぎ切って自ら顔を上げたときに一気に目や耳に入ってきます。その意味で、現役時代の大会は常に他の選手と戦っているというよりも、自分自身と静かに戦っている感覚でした。

病気になったことで、「泳げる幸せ」に気づく

病気になったことで、「泳げる幸せ」に気づく

―1歳から水泳を始め、25年以上競技を続けられました。モチベーションは何だったのでしょうか?

:選手生活の中で2回、一時的に水泳から離れざるを得ない時期がありました。1回目は16歳でバセドウ病が見つかったとき、2回目はリオオリンピックの1年ちょっと前に、24歳でバセドウ病が悪化して手術をしなくてはならなくなったときです。泳ぎたくても泳げない時期を経験して、当たり前に泳げることの有難さを知ったからこそ、泳ぎたいという気持ちを持ち続けることができました。もしあの経験がなければ、泳げる有難さに気が付かず、どこかのタイミングで水泳が嫌になって辞めていたかもしれません。だから、今はバセドウ病になったことは、私にとって必ずしもマイナスな経験ではなく意義のある経験だったと前向きに捉えられるようになりました。病気になっていなければ、今の私はいないわけですから。

―16歳でバセドウ病と診断されたとき、何か自覚症状はありましたか?

:はい。疲れが取れず、ずっとだるい状態が続いていました。息切れもひどくて、早朝練習を終えて学校に行き、4階の教室まで階段を上ったら、全力疾走をした後のようにゼイゼイと息が荒くなっていました。なんとか誤魔化しながら競技を続けていたのですが、冬合宿中に症状が悪化。微熱が続いて体重もどんどん落ちてしまったので、コーチが心配して急遽家に戻してくれることになりました。そこで初めて病院で診てもらったところ、血液検査でバセドウ病と診断されました。当時は高校1年生でちょうど目に見えて記録が伸び始め、全国大会でも優勝できるようになり、水泳が楽しくてたまらなくなってきたタイミングだったので、ショックでしたし、競技を続けられるのか不安でした。

そこで担当の先生に率直にその気持ちを伝えたところ、幸いにもスポーツにすごく理解のある先生で「では、お薬をすこし多めに飲んで、一日も早く正常な数値に戻しましょう」とおっしゃっていただきました。それからは毎日薬を飲んで2週間に1度のタイミングで採血をして・・・という生活を送り、3か月後には練習を再開することができました。投薬治療を続けながら比較的順調に競技生活を続け、2008年と2012年と2大会連続でオリンピックにも出場、2012年のロンドンオリンピックでは銅メダルを取ることもできました。だから油断していたというか、このまま投薬を続けていればいいんだろうなと呑気に考えていたのですが、2014年ごろから再び体調を崩すようになりました。決定的だったのは2014年の9月に出場したある国際大会で200mを泳いだときのことです。200mのレースなんて、もう何百回も泳いでいるのに、その日のレースは本当につらくて途中で立ってしまおうかと思ったほど。なんとか泳ぎ切ったものの、タイムはボロボロでした。

リオオリンピックをあきらめない。背中を押した母の言葉

リオ大会をあきらめない。背中を押した母の言葉

―不調の原因はバセドウ病の悪化だったのですね。

:はい。帰国後に病院に行ってみると、かなり悪くなっていることがわかりました。先生から「今の星さんは椅子に座っているだけでも、小走りをしている人と同じくらい心臓が激しく動いている状態です」と告げられたのを今も鮮明に覚えています。
折しも、リオオリンピックの代表選考まで1年ちょっとというタイミング。今から薬の量を増やして治療しても、どのくらいで良くなるかわからない。もしかしたら間に合わないかもしれない・・・・・・。そんな中途半端な状態で、オリンピックを目指して自分の気持ちを高めていくなんてできるんだろうか。目の前が真っ暗になって「引退」という二文字が頭をよぎり、病院を出た途端、母に電話して「もう引退したほうがいいのかも・・・」と泣き言をいってしまいました。今にして思えば、本気でやめたいと思っていたわけではなく、ただ弱音を吐きたかったんですよね。でも、ドライな性格の母は優しい言葉で慰めてくれたりはしませんでした(笑)。逆に「何を言ってるの。せっかくここまで頑張ったんだから、他に何か方法がないか、先生に相談して来なさい」とはっぱをかけてくれたんです。そこですぐに病院に戻り、先生と話し合ったところ「手術をすれば、傷口の回復次第だけど、1~2カ月でプールに入れますよ」との提案があり、それなら世界水泳は無理でもリオオリンピックには間に合うと判断し、手術を受けることにしました。手術は無事に成功、先生の言葉通り、数か月で競技に復帰し、リオオリンピックの前年2015年には日本競泳女子としては初めて世界水泳で金メダルを獲得することができました。迅速に手術が受けられたのは、ドライな母のおかげです(笑)。

恩師の言葉に救われ、2度目のメダル獲得を実現

恩師の言葉に救われ、2度目のメダル獲得を実現

―その後は、3度目のオリンピックとなるリオオリンピックに向けて、順調に調整が進んだのですね。

:それが、実はそうではなかったんです。世界水泳で金メダルを取ったことが、私の中でものすごく大きな負担になってしまっていました。まず、「世界水泳で金メダルを取ったんだから、オリンピックでも当然金メダルが取れるだろう」というプレッシャー。そして、それ以上につらかったのが、今考えると贅沢な話ではあるのですが、他の選手より1年も前にオリンピック出場が内定したことでした。通常は、その年の4月の選考会で、定められたタイムを0.01秒までクリアしなければならない、一発勝負のシビアなルールの中で選考となるのですが、私の場合、前年の世界水泳で金メダルを取ったことで選考会はその種目に出場さえすれば良いというルールでした。「調整期間が長くなるんだからいいじゃないか」と思われるかもしれませんが、選考会でタイムを突破するという中間目標がなくなったことが、私にとってはすごく大きなダメージでした。本番まで1年もの長い間、ずっとモチベーションを高く持ち続けることが難しく、それまで経験したことがないほどのスランプに陥ってしまったのです。練習しなくては・・・と思っているのに体がついてこない、苦しい日々。でも、選考会に向かって必死で頑張っている仲間の手前、恵まれた条件にある自分が愚痴をこぼすわけにもいかず、つらかったですね。

それでも何とか練習を続け、海外遠征にも出ていたのですが、もちろん良い結果が出せるわけもありません。そんなある日、海外遠征先で試合に出た帰りに、当時私が師事していた東洋大学水泳部監督で競泳日本代表のヘッドコーチも務めている平井伯昌コーチに「たまには、バスではなく歩いて帰ろう」と声をかけられました。その日の試合も不調だったので「もしかして、叱られるのかな」と一瞬身構えてしまったのですが、徒歩1時間の帰り道で平井コーチがかけてくれたのは、温かい励ましの言葉でした。
「お前も相当苦しいだろう。一人で抱え込まないで、俺には何でも相談しろ。あの北島康介だって、金メダルを取った後が一番つらかったんだ。お前だって辛いのが当たり前だ」って言ってくださったんです。平井コーチは、私の状態をちゃんと理解してくれていたんですね。それが嬉しくて、それまで長い間張りつめていた緊張の糸がプチンと切れて、私は歩きながら号泣してしまいました。そして思いっきり泣いたことで気持ちが切り替わり、本番までの2カ月はすごく前向きな気持ちで過ごすことができるようになりました。あのとき声をかけてくれた平井コーチには、感謝しかありません。

満を持して迎えたリオオリンピックでは、無事3位に入賞して2個目のオリンピック銅メダルを手にすることができました。ロンドンオリンピックで銅メダルだったときは金メダルに届かなかった悔しさがありましたが、リオオリンピックでの銅メダルには、まったく悔しさはありませんでした。手術を乗り越え、自分としっかり向き合って不調も乗り越えて、できることはすべてやり切って手に入れた銅メダルだったので、本当に嬉しかったですね。そして、オリンピック直後の2016年10月に現役を引退。もう水泳競技に関して自分はやり切ったという気持ちもありましたし、以前からリオオリンピックを節目にしようと考えていましたので、まったく悔いはありませんでした。

左からオリンピック ロンドン大会銅メダル、リオ大会銅メダル、世界水泳ロシア・カザン大会金メダル

左からロンドンオリンピック銅メダル、リオオリンピック銅メダル、世界水泳ロシア・カザン大会金メダル

アスリートに、お金について学ぶ機会を

アスリートに、お金について学ぶ機会を

―以前からリオオリンピック後の引退を決めていらっしゃったのですね。経済的なことも含め、新生活への準備はしていましたか?

:それが、お恥ずかしいことに、ほとんど何も準備していませんでした。引退前の数年間は集大成であるリオ大会で結果を残すための調整に集中していましたし、経済的な問題についても、引退したら今の主人とすぐに結婚する予定でしたので、あまり深く考えていなかったというのが正直なところです。その分、知らないことが多くて戸惑うことも多かったですが、主人をはじめ周囲の皆さんに助けられながら、少しずつ新しい生活に慣れていくことができました。
これも今だからこそわかるのですが、アスリートは競技に集中するあまり、競技以外のことを学んだり経験したりする機会が少ないのです。だから引退後、競技以外にできること・したいことがみつからなくて、いわゆるセカンドキャリアに悩んでしまうアスリートも多いのだと思います。特にお金についての問題は深刻ですよね。アスリートは若いうちから大会賞金などでまとまったお金を手にする機会に恵まれているのに、お金について学ぶ機会がほとんどないために計画的な運用などができず、引退後の生活に困ってしまう人も珍しくないと聞きます。セカンドキャリアに悩むアスリートのためにも、アスリートが金融教育を受ける場が増えていけばいいなと願っています。

全盲の金メダリスト・木村敬一さんの夢をサポート

全盲の金メダリスト・木村敬一さんの夢をサポート

―今後の目標を教えてください

:引き続き、現在取り組んでいる①水泳教室や講演活動、②バセドウ病の啓発活動、③水泳の魅力発進の3つの活動を続けていきます。新しい挑戦としては、パラリンピック東京大会の100mバタフライ(視覚障害)で金メダルを獲得した全盲のスイマー・木村敬一さんからお声がけいただいて、2023年から彼のフォーム改善をお手伝いすることになりました。私は指導者としての経験はほぼないですし、全盲の木村さんにどうすれば上手くフォームのイメージを伝えられるのか未知数ではありますが、彼がパリ大会で理想の泳ぎができるよう、私もサポートチームの一員として精一杯力を尽くしたいと思います。数年前まで自分が選手として参加していた大舞台に、今度はサポーターとしてかかわることができてすごく嬉しいですし、今回の挑戦を通じて自分の新たな可能性やミッションを見つけられたらいいなとワクワクしています。

とにかくいろんなことに挑戦してみよう。新しい自分に出会うために

とにかくいろんなことに挑戦してみよう。新しい自分に出会うために

―今後セカンドライフを迎える人にアドバイスをお願いします。

:アドバイスなんておこがましいのですが、今まさに「セカンドライフ」を生きている私の実感としてお伝えすると、「思い込みを捨てて、どんどん挑戦すること」が、セカンドライフを豊かにするポイントじゃないかなと思います。私も引退したばかりのころは、漠然と「私は人前で話をするのが苦手」と思い込んでいたのですが、思い切ってやってみると、とても楽しくて意外にも自分に向いていることがわかりました。最初はつまらなそうな顔で聞いていた方が、話が進むにつれて前のめりになって相槌を打ちながら聞いてくれるようになったり、講演後に感動した!って言ってもらえると素直に嬉しいですね。それもこれも、「自分は講演が苦手」という思い込みを捨てて思い切って挑戦してみたからこそ、味わえた喜びです。これからも、もっといろいろなことに挑戦して新しい自分に出会いながら、人生をより豊かなものにしていきたいと願っています。セカンドライフはそれまでの人生で培った経験や知識がある分、本来、若い頃よりもいろいろなことができる世代だと思います。皆さんもぜひ思い込みや固定概念に縛られず、興味のあることに、どんどん挑戦してみてください。応援しています!

今回お話を聞いた人

星 奈津美さん

星 奈津美さん

<星 奈津美氏プロフィール>
星 奈津美(ほし なつみ)さん/元競泳選手、オリンピック競泳200m女子バタフライ銅メダリスト
1990年埼玉県越谷市生まれ。1歳半で水泳を始め春日部共栄高校時代は1年・2年生でインターハイ優勝、3年生では日本選手権で高校新記録を出し、北京オリンピック日本代表に選出された。16歳で患ったバセドウ病と闘いながらオリンピック3大会連続出場、2大会(2012年ロンドンオリンピック、2016年リオ・デ・ジャネイロオリンピック)で銅メダルを獲得。2015年の世界水泳ロシア・カザン大会では日本女子として初の金メダルを獲得した。2016年に現役引退後は水泳教室だけでなく、企業や学校での講演活動やバセドウ病への理解を促進する活動を行っている。

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