【特集セカンドライフ】第5回 Best is yet to come!(まだまだ、これからだ!)

「特集 セカンドライフ」は、経営者・リーダー・役員など会社で活躍するさまざまな人のセカンドライフ(第二の人生)を聞く特集企画。第5回は、一橋大学名誉教授で日本を代表する経営学者として国内外で活躍する石倉洋子さんにお話を伺いました。

【特集セカンドライフ】第5回 Best is yet to come!(まだまだ、これからだ!)

組織にこだわらず、「個」として生きる

組織にこだわらず、「個」として生きる

―2020年9月にお父様を98歳で看取られました。お父様はどんな方でしたか?

石倉洋子さん(以下、石倉):新しいもの好きで、何でもかんでもやってみる好奇心旺盛な面白い人でした。若い頃は大手ホテルでマネージャーをしていたようですが、ある時すっぱり辞めてしまって、ホテルや飲食業界に特化したフリーのコンサルタントとして独立しました。当時としては珍しい働き方だったのかもしれませんが、母も特に反対することなく、父の決断を自然に受け入れていましたね。

そのせいか、私自身も学生時代から「学校を出たら1つの会社でずっと働き続けよう」という発想はありませんでしたし、大学卒業直後、企業などに就職せず、フリーランスの通訳として働き始めたときも抵抗はありませんでした。その後、いくつか企業や大学に所属していた時期もありますが、いつも組織にこだわることなく、個人として働くことを大切にしてきましたし、60代後半からは再びフリーランスとして働いています。

今にして思うと、「好奇心旺盛」、「海外が好き」、「フリーランス」、「コンサルタント」など父と私には共通事項が多いんですよね。知らず知らずのうちに、私は父の価値観や生き方から少なからず影響を受けて育ったのかもしれません。

まずは、やってみる。ダメなら、また始めればいい

まずは、やってみる。ダメなら、また始めればいい

―通訳は子供のころからの夢だったのですか?

石倉:いいえ。中高時代は宇宙飛行士になりたいと思っていましたし、実は今も宇宙に行きたいって思っています(笑)。ただ、当時の日本では女性が宇宙飛行士を目指すのは現実的ではありませんでしたから、大学は好きな英語が学べる上智大学に進学、3年生のときにアメリカのカンザス州にある大学に留学しました。帰国したのが4年生の半ばだったので、すっかり就職活動に乗り遅れてしまって、やむを得ずフリーランスの通訳になる道を選んだというのが実情です。

でも、今振り返ると、これはすごく良い選択だったと思います。当時、通訳はお金になりましたし、各業界の一流のビジネスマンが働く様子を間近に見聞きでき、それが後にコンサルタントして仕事をする上で非常に役に立ったからです。20代のうちに一流の人とそうでない人の違いを、肌で学ぶことができたのも大きな収穫でした。

しかし、何年か続けているうちに、通訳が自分の天職であるとは思えず、通訳よりもお客さんたちがやっているビジネスそのものに興味を持つようになりました。そこで、たまたま仕事で知り合ったハーバード大学の関係者に相談してみると、「ビジネスの勉強をしたいのなら、ビジネススクールに行ってみたら?」とすすめてくれ、なんと推薦状も書いてくれるというのです。そう、まさに千載一遇のチャンスですよね。当時はまだ日本ではビジネススクールというものがほとんど知られていませんでしたが、こんなチャンスは2度とないと思い、すぐに挑戦を決めました。

何かに迷っているときには、選択肢に大きな違いはない

石倉:結果としてハーバードやスタンフォードのビジネススクールは不合格で、合格したのは南東部のバージニア州にあるバージニア大学のビジネススクールでした。少し戸惑いましたが、ある人の「せっかく受かったんだから、まずは行ってみればいいじゃない。ダメだったら、また別のことを始めればいいよ」という言葉に背中を押されてフッと気が楽になり、バージニア大へ留学することを決め、1980年に無事、経営学修士(MBA)を取得しました。

実はその後、改めてハーバードの大学院に挑戦するかどうか迷っているときにも、バージニア大の指導教授にまったく同じことを言われたのです。「まずは行ってみて、ダメだったら、また考えればいい」と。大切なのは「失敗しないように生きること」ではなく、「失敗してもいいから、とにかく行動してみること、いろんな場所に行って、いろんな人に会うこと」。そうすれば、もし当初の目標が頓挫したとしても、そのころにはまた何か別の目標が生まれているはず。これは、アメリカ留学で得た大きな学びの1つでした。

そもそも、何かに迷っているときは、結局、どちらに行っても大した違いはないことが多いのです。だって、圧倒的に条件が良くて魅力的な選択肢があれば、迷いませんから。迷わず選べるような良い選択肢がないときは、とりあえず、どれかひとつを選んで、とにかくやってみる。そして、決めたからには後ろは振り返らないこと。これがとても大事だと思います。

21世紀は「個人」の時代。定年後は「自遊人」を実践

21世紀は「個人」の時代。定年後は「自遊人」を実践

―帰国後はマッキンゼーでコンサルタントとして活躍した後、社会人教育の分野へ転身。一橋大学など3つの大学院で教鞭を取り、後進育成に力を尽くされました。2014年に65歳で慶應義塾大学を定年退職後、再びフリーランスとして働く道を選んだのは、どのような理由からでしょうか?

石倉:定年後も、どこかの組織に属して働くことはできたかもしれませんが、私は常々「21世紀は『個人』の時代。必ずしも組織に属する必要はない」という持論をあちこちでお話してきましたから、それを自ら実践するために約40年ぶりにフリーランスに戻って活動を始めることにしました。そもそも、やってみたいことが山ほどある今の私には、肩書やポジションに縛られないフリーランスという働き方がピッタリなんです。

実際、定年退職後にフリーランスになってから、本を書いたり、ワークショップを開催したり国際会議に出たりと、業界や業種に縛られず、自由にいろいろなことに挑戦して、楽しんでいます。目指しているのは、単なる「自由人」ではなく、「自遊人」であること。同じ仕事をするにしても、シビアに成果だけをもとめるのではなく、遊び心を大切にして楽しみながらやっていきたいし、プライベートでもいろんな楽しみを味わいたいなと思っています。

必要なのは「体力」と「できる!と思える心」、そして「幅広い人間関係」

必要なのは「体力」と「できる!と思える心」、そして「幅広い人間関係」

―国際会議への出席、ワークショップのモデレーターなど本当に精力的に活動を続けていらっしゃいます。石倉さんのように定年後にも活躍し続けるために、どのような力を身につけておけばよいのでしょうか?

石倉:まずは体力ですね。若いときですら、精力的に仕事をするには体力が不可欠なわけですから、定年後はなおさらです。私は今でも毎朝のジョギングは欠かしませんし、最近は合気道のレッスンも受けて、意識的に体を動かすように心がけています。

次に大切なのは、「できる!」という自信をもつこと。何か新しいこと、未経験のことを前にして「できない」と思い込んでしまったら、できるものもできなくなります。根拠はなくてもかまわないので、「なんとかなる、やってみせる、きっとできる」という気概をもって物事に取り組むことが大切です。特に近年はIT化が進んで次々に新しいデバイスや機能が登場し、仕事の進め方自体が大きく変わっていますから、「ITは苦手」と逃げているわけにはいきません。わからないことは人に聞けば教えてもらえることが多いし、やりながら覚えていけばいい。試しているうちに、自分でも意外なほど、いろんなことができるようになることに気付くと思います。

新しい世界は、若い世代との交流で開ける

石倉:仕事でも趣味でも、いろんな人と付き合って、幅広い人間関係をもっておくことも大切です。年齢を重ねると、とかく同年代の友人・知人とばかり付き合ってしまいがちですが、そうすると話題や関心事がマンネリになりがちで、新しい世界が開けていきません。できれば自分よりも若い世代の人たちと積極的に交流し、新しい視点や価値観、未知の世界に敢えて触れるようにしましょう。私は以前から年齢を気にせずに人と付き合っているので、ひょんなときに相手の年齢を知って「え!20代だったの!?」などと驚いてしまうこともありますが、彼らから日々多くのことを教わり、良い刺激をもらっています。

楽観的過ぎると言われるかも知れませんが、私はいつも今日より明日のほうがより良い1日になると信じているんです。Best is yet to come(将来はもっと良くなる、まだまだこれからだ!)って思えば、少々嫌なことがあったり失敗したりしても、前向きな気持ちになれますから。そう思えるように自分の体や精神状態を前向きな状態に整えておくことが、とても大事だと思うんですよね。

「あれもやりたい!これもやりたい!」と思いながら、旅立ちたい

「あれもやりたい!これもやりたい!」と思いながら、旅立ちたい

― 2019年に70代を迎えられました。これから石倉さんご自身が挑戦してみたいこと、取り組んでみたいことはなんですか?

石倉:たくさんあり過ぎて、回答に困ってしまいますね(笑)。私の究極の夢は、年齢や性別、国籍などに関わらず、誰もが自分の能力を自由に発揮できる世界を実現することです。そのために、まだまだいろいろな仕事に取り組みたいですし、挑戦したいこともたくさんあります。かつて自分がしてもらったように、もっと世界に羽ばたいていく若い人たちのサポートもしたいし、人材育成にも引き続き取り組んでいきたい。プライベートでは合気道をもっと上手にできるようになりたいし、可能なら宇宙にも行ってみたい。やりたいことを数え上げたらキリがありません。

だから、先日、ある人が「もう思い残すことはないっていう達成感に包まれて死にたい」と言ったのを聞いて、ちょっと驚いてしまったんです。正直に言うと、そんなの私は嫌だなって思ってしまいました。だって、それは、もうこの世に興味のあることや面白そうだと思えることがなくなってしまうということですよね。私はむしろ「ああ、あれもやりたい!これもやりたい!ああ、でも時間切れか・・・」と悔しく思いながら旅立つんじゃないかなと思います。最後まで、好奇心を失うことなく、毎日を欲張りに生きていきたいですね。

※この記事は2020年10月に行った取材をもとに作成しております。

今日お話を聴いた人

一橋大学名誉教授  石倉 洋子(いしくら ようこ)さん

一橋大学名誉教授 
石倉 洋子(いしくら ようこ)さん

1949年神奈川県生まれ。フェリス女子中学・高校卒業。上智大学外国語学部英語学科卒業後、フリーの通訳として活躍。バージア大学大学院にて経営学修士(MBA)、ハーバード大学大学院にて経営学博士(DBA)を取得。マッキンゼー・アンド・カンパニーでマネージャーを務めた後、青山学院大学国際政治経済学部教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授を歴任。現在、株式会社資生堂、積水化学などの社外取締役、永守文化記念財団評議員、世界経済フォーラム Member of Expert Networkなどを務める。2010年より「グローバル・アジェンダ・ゼミナール」、「ダボスの経験を東京で」(2013年から2018年まで)、2018年からSINCA – Sharing Innovative & Creative Actionなど、世界の課題を英語で議論する「場」の実験を継続中。
・公式ウェブサイト https://yokoishikura.com/

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